「涙がスーッと出てきてしまい、自分でも琴線に触れたのが解りました」

ミディアムシップリーデングをありがとうございました。
わたしの育ての親だった父方の祖父母たちに30年ふりくらいに話ができました。
最初にどちらと話すかを考えていた時にやっぱり祖父からコンタクトがあったと言われて「やっぱり」と思いました。
明治生まれの二人ですから夫である祖父を立てたのでしょうか?

祖父の本人確認のイメージはそのもので、好きな日本酒をいまでも気兼ねなく飲んでいるんだということがわかり思わず笑ってしまいました。

文筆家で繊細だった祖父は、祖母が自宅で助産院を開業していたので、毎晩のように聞こえる患者さんの産気付く声と赤ん坊の泣き声に耐えられず寝酒を飲まなくては寝れなかったようです(笑)

肉体がなくなった今では健康を気にすることなく飲むことができるんでしょうね・・・・。

繊細で頑固で厳しくて、優しかった祖父。
気丈で情が深く厳しかった祖母。

わたしは両親が5歳の頃に離婚したのですが、祖母に取り上げられてからはそのまま祖父母のところで18歳まで暮らしました。

二人共旅立った時期は違いますがいつもわたしを見護っていてくれているのはわかっていました。

ですからそのお礼も言いたかったのですが、リーデングが始まってイメージを伝えられると安堵と喜びから涙がスーっと出てきてしまい止まらず、ただ、ただ黙ってしまいました。

Leeさんにはわからないようにしていましたが(笑)自分でも琴線に触れたのがわかりました。

何を聞いたらよいのやら・・・そんな不安もありましたが、始まってしまうとそういう気持ちはどこかへ行ってしまいました。

ただ、ただ、その空間にいて繋がっていることが嬉しかったのです。

もう目には見えない存在となってしまった二人がちゃんといるんだ。という実感があったからです。

いつもいつも心の窮地に立たされたとき、音や形で表現してくれていた祖父母たちでした。

「あの時のランプの光はおじいちゃんだったの?」と一つ聞いてみたのですが、それは祖母のいたずらだったということもわかりました。

以前、わたしの部屋のベッドサイトにおいていた月の形の丸いランプが帰宅したら緑色についていたことがありました。

このランプは8色あり8トーンのドレミの音で色が変化していくものでしたのでいきなり緑がつくことはないはずでした。

そういえばあの時は辛かった・・・。いまでは思い出のように感情はなくなって思い出しますが、そういう時は必ず祖父母の名前を心の中で呼んでいました。

二人からの愛のメッセージは「自分を信じてもっと堂々とやり続けなさい」ということでした。

わたしにしかできないもの。オリジナリティあふれる仕事と行き方をこれからも二人は温かく応援してくれているのだと確信しました。

これからは困った時だけではなく(苦笑)いつもいつもその存在に感謝して生きていこうと思います。
ありがとうございました。

神奈川県・中山さま